人間関係の力学, 夫婦の対話, 感じたこと

自分がセフルイメージ低いなんて思ったことがなかった

前回
 
相手に与えるものなんてない
 
と思っているクライアントさんの話をしました。
 
 
私も以前はそう思っていました。
 
でも実はそんな風に思っているなんて自分ではわかっていませんでした。
 
 
 
 
私は
 
周りの空気は比較的読めるし
 
仕事をさせればそつなくこなせる
 
いわゆる
 
仕事できる系女子でした。
 
 
そんな自分が好きだったし
 
毎日ばりばり働く自分も好きでした。
 
仕事をしっかりこなす自分に対してプライドもあったなぁ。
 
 
だから自分がセルフイメージが低いなんて考えたこともなかったのです。
 
 
 
パートナーができてからのこと
 
感じやすく落ち込みやすい彼と一緒に
 
心理系のセミナーに出たときのことです。
 
 
彼がセミナー中に質問することができました。
 
その時、隣に座っていた私にもマイクが回ってきたのです。
 
彼の質問の内容は忘れましたが、私はその時
 
「彼は色々と大変な過去を持ったかわいそうな人なんです。
 
そのためセルフイメージが低いみたいです。」
 
というようなことを言った覚えがあります。
 
 
私のパートナーは末っ子で
 
家庭では暴力的な扱いを受けるのが日常で
 
常にみそっかすだったそうです。
 
自分の生まれた意味がわからない
 
生まれてこなければよかったと
 
常々言っていた人でした。
 
 
とても優しい人でしたが要領が良いわけでなく
 
職場には馴染めなかったと言います。
 
 
だから私の中では
 
彼→優しいけどかわいそうな人
 
私→仕事はできる世間で生きていける人
 
となっていたのですね。
 
 
ところが、そのセミナーの時に
 
メンターに言われた
 
「ご自分もセフルイメージが低いってわかりますか?」
 
という一言。
 
 
私は一瞬、フリーズしました。
 
「は?何を言ってるんだろう?
 
私は結構仕事できるし
 
今まで色々なところで役に立ってきたのに。」
 
 
私は自分のことをダメだと思ったことはない
 
 
そんな風に感じたのですね。
 
 
 
でもその不思議な一言が
 
私の中の何かにヒットしました。
 
 
 
そ・う・い・え・ばーーーーーーーーーーーー。
 
 
 
 
その質疑応答が終わってから
 
じわじわと私の中で何かが起こりました。
 
 
 
 
 
そういえば!
 
 
 
私、自分が人に好かれるとか思ったことないかも・・・。
 
 
 
その時、走馬灯のように色々なことを思い出して
 
ただただ涙が止まらなかったのを思い出します。
 
 
 
 
 
そのころ、結婚生活のなかでよく起きた事件があります。
 
朝早く仕事に行き
 
帰宅して家事をして
 
その他に心理系の勉強にも通い
 
さらにライフワークも始めようとしていた頃
 
 
時々、私が爆発するのです。
 
 
「もっと手伝ってよ!」
 
「どうしてわたしばっかり!!」
 
 
私の中でどうしようもない犠牲感が募ってきて
 
それを吐き出さずにはいられないのです。
 
 
彼が手伝わない
 
彼が私の犠牲をわかってくれない
 
 
そんな風によく怒ったものです。
 
 
 
それを友達に話すと
 
「世話を焼きすぎなんじゃない?」
 
「自分の好きなことに集中したら?」
 
と言われました。
 
 
メンターからは
 
「私が世話を焼きすぎて彼を無能化している。」
 
とも言われました。
 
 
心理系のことを学んでいたおかげで
 
人が二人いた時
 
一人が有能なポジションをとると
 
もう一人が無能なポジションになる
 
ということがだんだん理解できてきました。
 
 
つまり
 
私は有能な自分が大好きで有能性を発揮しようと毎日頑張ると
 
相手は手を出す隙間がなくなってどんどんやらなくなる
 
→どんどん無能になっていく
 
 
という構図だったのです。
 
 
 
さらには
 
私は自分の好きなことをやるよりも
 
誰かの役にたつ=有能性をわかりやすく感じる
 
ことに意識を取られていることもわかってきました。
 
 
 
誰かの役に立っていると
 
自分の大好きな有能な自分になれたのです。
 
 
 
でもパートナーに対しては
 
世話を焼きすぎて犠牲感で爆発する
 
そんな悪循環になっていたのですね。
 
 
 
というより、自分を後回しにして人の役にたつことばかりしていたので
 
深いところで実は犠牲感がつのっていて
 
それをパートナーにぶつけてしまっていたのです。
 
 
長年溜め込んだ犠牲感が
 
彼に向かって行ってしまったのでした。
 
 
 
 
色々なことを理解してきて
 
だったらその犠牲を止めたらいいんだ
 
 
という話になりました。
 
 
自分の好きなことに集中して
 
犠牲感を感じることはやらない
 
 
彼も常々
 
「家事をやったり世話を焼いて犠牲感が出るなら
 
そんなにやらなくて良いよ。」
 
と言っていました。
 
 
「犠牲感でキレられても嫌だし。」とも。
 
 
 
そこでそれまでやっていた色々なことをやめる
 
と考えた時
 
頭の中に
 
「そんなの無理、そしたら私のいる意味がなくなる。」
 
という答えがパッと浮かびました。
 
 
私にとってはそれが唯一の真実であるかのように。
 
 
 
 
私は人の役に立てる
 
仕事のできる有能な自分が大好きでした。
 
 
でも裏を返して
 
仕事をやらない、誰かの役に立たない
 
そんな自分は大嫌い。
 
そんな自分だったら生きている意味がないとすら思っていたのです。
 
 
役にたつ自分=必要とされる
 
 
役に立たない自分=必要とされない=愛されない
 
 
という三段構造になっていたのです。
 
 
 
家事をしたり世話をやいたり
 
そういう自分だから選んでもらえている。
 
 
犠牲をしないありのままの自分だったら・・・
 
選ばれる理由がない
 
 
そんな風に思っていたのです。
 
 
 
以前どこかに書きましたが
 
私は自分には愛がないと思っていたので
 
 
相手の役にたつことをしていなかったとしたら
 
自分には何も与えるものがないと思っていたのです。
 
 
ありのままの自分で
 
誰かに何かを与えているとは想像できず
 
だからこそ
 
毎日空気を読んで先読み行動をしていたのですね。
 
 
 
前回書いたクライアントさんのように
 
素直に
 
「自分には何もない」
 
と吐き出せる人もいますが
 
 
私は
 
「何もない。」という思い込みを見たくないあまり有能な自分を作り上げ
 
自分がセルフイメージが低いとは思ってもいなかったのですから
 
今考えても厄介なタイプだったなぁと思います。
 
 
 
でも人はみんな子供の頃にありのままではいられず
 
たくさん傷ついてきました。
 
 
それゆえ
 
その傷をカバーしようと有能な自分を演じるか
 
その傷の痛みで動けないかどちらかです。
 
 
そのどちらも傷が癒えたわけではなく
 
ましてやありのままの自分に許可が出ているわけでもありません。
 
 
でも頑張って誰かの役にたつことも素晴らしいけど
 
すべての人がありのままの自分でそこにいるだけで何かを与えていると思えたら
 
競争もなくなるし格差もなくなる
 
そんな風に思うのです。
 
 
 
 
その後、色々と癒しを進め私が今思うことは
 
 
頑張っても頑張らなくてもどっちでもいい
 
 
ということです。
 
 
 
誰かの役に立っても
 
立たなくてもどっちでもいい。
 
 
大切なことは
 
 
すでに受け入れられているということ。
 
 
自分で自分を幸せにしていくということ。
 
 
その幸せを人と分かち合うということ。
 
 
 
それができたら
 
セルフイメージがどうこうなんて
 
きっと意識の中から無くなっていると思います。
 
 
 
だれもが世界に与えるギフトを持って生まれてきています。
 
そのギフトは気をつけて見てあげないと
 
一般的なルールやモラルにかき消されてしまう時もあります。
 
 
だからそのギフトは自分で発掘してあげないといけません。
 
そして大切に育ててあげること。
 
それが自分を大切にすることでもあります。
 
 
そして
 
そのギフトを分かち合う一番の相手こそパートナーです。
 
 
あなたが自分のギフトを見つけて
 
大切な人とに分かち合えますように。
 
 
もしかするとあなたが気付いていないだけで
 
相手の人は
 
あなたの内側にある輝きをずっと見ているのかもしれませんよ。

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