夫にイラっとした時, 夫婦の対話

【夫にイラっと22】過去の記憶とイラっとが繋がっている場合

過去の記憶と繋がっている場合

 

人の行動を見て「イラッと」したときの理由として、前回は「あなたの才能や個性が理由の時があります。」とお伝えしました。

 

もう一つあげられるのが過去と記憶と繋がっている場合です。その記憶とつながっているケースでも大きく分けると2種類に分かれます。それは次の様な感じです。

 

1、身についたルール

2、傷ついた出来事

 

ここでも、どういうことなのか一つずつ見て行きましょう。

 

1、身についたルール

 

私たちは子供の頃に、親や学校・社会なのでたくさん制限を受けて育ってきました。 それは集団生活で揉め事を起こさないためや、物事を円滑に進めるためだったり、また心身の安全や将来の生活のため、あるいは意味不明なまま、強制的に刷り込まれたものもあります。

 

ルールは「守るべき」ものとして教わります。時には、道徳や習慣として教わることもあるでしょう。そしてそのほとんどが、守ることが正しく、守らないことは正しくないと教わるのです。

 

人の行動を見て「イラッと」する時というのは、相手がこの「守るべき」ことを守らない時でしょう。 人の意見は尊重すべき、人の話には耳を傾けるべき、 汚れた服は洗濯機に入れるべき、 家事は手伝うべき、お金は節約するべき、自分のことよりも家族を優先にするべき、など、書き出してみると意外にたくさんの「〜するべき」というものを自分が抱えていることに気づけるでしょう。こういった、自分が「〜すべき」と思って守っていることに対して、守らない人がいると、「イラッと」するわけです。

 

そして「〜すべき」と同じようなもので、「〜するのが当たり前」というのもありますね。

努力するのが当たり前、相談するのが当たり前、 譲るのが当たり前、というような感じです。

 

面白いもので、人は自分が「〜したい」と思ったことを相手がしなくても、イラっとはしません。それは自分がやりたくて自らやったことだからです。相手が同じ感覚でなくても、そこに「イラっと」ポイントはないのです。

 

でも、自分がやらされた、我慢させられたことを相手がしていないと、「イラっと」くるものです。「自分だってストレスなのに、我慢したのに、どうしてあいつはやらないんだ!」となるわけです。

 

小さい頃、自分の欲しいものを我慢させられた人は、夫が欲しいものを我慢せずにほいほい買うことに「イラッと」するはずです。そんな風に、自分ができなかったこと、我慢させられたことを相手がやると「イラッと」するのです。

 

つまり、夫の行動を見て「イラっと」するのは、自分の過去のストレスが浮かび上がっているのであって、夫の行動が良いか悪いかとは全く関係がないのです。

 

自分が「イラッと」した時、口をついて出る言葉にこの「〜すべき」や「〜するのが当たり前」が含まれていたら、それは過去の記憶と繋がっています。子供の頃言われたルールを、そのまま現在に当てはめているのということです。

 

もしかすると、「それの何が間違っているの?」と疑問に思う方もいるでしょう。でも誰かと数年間でも一緒に住んだことがある人なら分かるはずです。そのルールというのは家庭ごとに違うということが。あるいは国でも違います。育った環境によって身につけてきたルールが違うのです。

 

片方の家では、「食事の時は黙って食事を味わうもの」というのがあったとしましょう。もう片方の家では「食事の時は1日のことを話すのが当たり前」だったかもしれません。そうすると黙って食事を味わう家庭で育った人は、食事中にペラペラ喋る人に「イラッと」くるわけです。その逆もまた然りで、食事中にコミュニケーションをとる家で育った人は、黙ってご飯を食べる人に「イラッと」するわけです。

 

ここで確認しておきたいことがひとつあります。それはルールは何のためにあるのか、ということです。 私は夫婦においては、ルールは二人で幸せになるためにあるべきものだと思います。そして別の環境で育った二人が一緒になる時、2人にとって良いルールを新たに作り続けていく必要があると思うのです。

 

食事の時に黙るのがいいのかたくさんコミュニケーションをとるのが良いのか、絶対の正解というのはありません。二人でお互いにとって一番いい方法を選んでいけばいいのです。

 

ところが私たちは、自分の中に染み込んだルールがあまりにも当たり前になっているため、それが世界の絶対の正解だと思っている節があります。だから相手の行動に「イラっと」もするし、相手が悪いと思うようになるのです。このことは最初のうちは仕方ありません。自分のマイルールに気づくのは違うルールを持った人を見た時だからです。

 

もしあなたが「イラっと」することから始まるコミュニケーションのすれ違いで苦しんでいるなら、自分のマイルールが原因ではないか、読み解くことをお勧めします。そして過去に身につけたそのルールが、今現在も、自分自身を縛っていることに気づいて欲しいのです。

 

あなたが「〜すべき」と思っているということは、あなた自身にもそのルールを守らせ続けているということなのです。そしてそれは「〜したい」ことでなかったとしたら、あなたにとってストレスになっている可能性があります。

 

夫は、そのことを気づかせてくれる人なのです。

 

・「〜すべき」は自分も縛っている。

 

例えば「相手の話は聞くべき」と思っているとしたら、自分が疲れて聞けない時や、他の何かに熱中して聞きたくない時にでも、無理をして聞こうとしているかもしれません。 でも どんな時でも完璧に相手の話を聞かなくてはいけないのでしょうか。自分が話を聞けない時に「ごめん今話し聞けない。」と言ってはいけないのでしょうか。

 

夫婦関係において、お互いを尊重することは大切です。本当に分かってもらいたいことを、とことん話し合うことが必要な時もあるでしょう。もちろん、たわいない会話や雑談を楽しむことも必要です。

 

でも、自分が苦しくなってまで相手を尊重する必要があるのでしょうか。というより苦しい状態で無理に我慢して尊重しようとしても、実は心からの尊重にはなっていません。心のどこかで「私はやってあげている」という犠牲感が溜まっていき、相手にも同じ犠牲を強要したくなってしまうからです。

 

尊重するとは無理な時は無理を尊重すること。本当に大事なことは無理をしてでも取り組む。その見極めが大事だと思うのです。

 

イラッとした時、度々「〜すべき」や「〜するのが当たり前」という台詞が口をついて出るなら、まず自分が自分を縛っているということを知ってください。そしてその自分の縛りを緩めてあげてください。

 

このセリフが口をついて出た時に、「ちょっと待って、それって本当に守らなければならないことなの?」「それって本当に当たり前なことなの?」と一度振り返ってみてほしいのです。 そしてできれば「これは絶対に守らなければいけないことではないかもしれない」「もしかするとどっちでもいいのかもしれない」「もしかすると当たり前ではないのかもしれない」と思えるといいと思います。

 

ルールを絶対に手放せというつもりはありません。ただそのルールを緩めていくことで、まず確実に自分が楽になっていくと思います。そして自分が楽になったぶんだけ、自然に相手に対して「イラッと」することが減っていくはずです。そうなることはもちろん、二人の関係にとって悪くないはずです。

 

 

2、傷ついた出来事

 

あなたが相手の言動を見てイラッとした時、そのイライラが過去の傷ついた出来事と繋がっている場合があります。 過去にとても傷ついたこと、嫌な体験をしたことが無意識的にフラッシュバックしてしまうケースです。

 

夫の帰りが予定より少しでも遅いと「イラっと」する、 もしかするとそれは、約束の時間に帰ってこず、そのまま家を出て行ってしまった父親に対するハートブレイクが影響しているかもしれません。

 

一生懸命作った料理を夫が一言も褒めないと「イラっと」する、もしかするとそれは、お母さんのために頑張って料理をしても全く褒めてもらえなかったハートブレイクが影響しているかもしれません。

 

落ち着いて考えれば、そこまで「イラっと」しなくてもいいかも、と思えることや、相手を変えても繰り返し「イラっと」しすぎてしまうポイントは、過去に何らかの理由で傷ついた可能性があるのです。

 

こういった、過去に傷ついた出来事からくる「イラっと」は、過去の傷を癒せば「イラっと」しなくなります。なので自分でも理不尽なほど「イラっと」する出来事に気づいたら、過去に傷ついたこととつながっていないか探ってみましょう。

目の前の人が原因でないことがわかれば、素直に謝ることもできます。それが自分の分の責任をとる、ということです。

 

ここで私のケースをお伝えしましょう。

私は、ブログを書いたりメールレターを書いたり、文章を書くことがよくあります。そういう時、意見を聞こうと夫に文章を見せると、夫が赤ペンだらけにして返してきます。それを見ると、私はいつも激昂していました。一生懸命書いた文章に対してあまりにも無礼だと思っていたのです。夫にしてみれば、私が意見を聞いてきたから、自分が感じたことを赤で書き込んだ、とのことでしたが、その作業はいつも無言でおこなわれ、私はまるで採点された気分になるのです。そしてその採点は決していい点数ではない様に感じて、悲しくなるのです。と同時に夫に対して、もし文章の意味がわからないなら、バツをつける前に私がどういう意図で書いたか聞いて欲しい、一方的にバツをつけるのは耐えられない、と怒りがわくのでした。

 

そういう時、私はいつも頭に血が上ってしまって「どうしてそういうひどいことをするの!?」「意見が欲しいと言ったけど、バツをつけろとは言ってない!」「バツをつける前に意味がわからないなら私に質問をすればいいじゃないの!」「これはどういう意図だったの?って聞いてよ!」「何も聞かずにバツだけつけるなんて私のことを全然尊重してない!!!」と、怒りがとめどなく溢れてしまうのです。

 

これを数回繰り返して、夫は意見を何も言ってくれなくなりました。「意見を聞きたくないなら見せるな。」とのことです。夫の言うことはその通りだと思いました。でも私は、文章に自信があるわけではなく、他の人の意見を聞く必要があるとも思っていたのでめげずになんども見せ、その度に喧嘩になったものです。

 

喧嘩のたびに言われたのが、「僕は意見を書いただけだ。否定していないのに、君が勝手に否定されたと思ってる!」ということでした。私から言わせれば、無言で赤ペン添削は否定だし、相手を尊重していない、というのが揺るがない事実。そこでいつも平行線だったのです。

 

ある時私は、自分が思っている「否定されている」「尊重されていない」ということについて考えてみました。「もし私が自分の心の傷でそんな風に捉える癖があるとしたら、どういう傷なんだろう?」と過去を掘り下げてみたのです。そうしたら色々と思い出しました。夏休みの宿題で絵を描けば、母になおされていたことに始まり、何をやっても母に褒められたことがないことを。お手伝いをやっても、「遅い」とか「もっとこうして」と、いつも修正されていたこと。そして、私がやることに対して、どうしてそういうことをやったのか、心の内を聞かれたことがなかったことなどです。

 

今思えば、私はとても感受性の鋭い子で、色々なことを感じていました。そして何か行動する前に、どうしたら一番いいのかたくさん考えてから行動する子だったのです。感じていること、考えていることが山ほどあっての一つの行動だったので、それがうまくいってもいかなくても、その裏にどれだけ考えたのかを聞いて欲しかったのです。でも実際は父も母も忙しくて、私が何を感じてどんなことを考えていたのかをじっくり聞いてもらった記憶がありません。「なんでこれを選んだの?」「どうしてこんな風にしたの?」と聞いてくれたらたくさん話したいことがあったのに・・・。そんな悲しみが出てきました。

 

「自分の考えていることを聞いてもらえない。」その心の傷が、夫とのやり取りで吹き出していました。「私にとっては全てに意味があるんだから、ちゃんと聞いて欲しい!」そんな風に泣いて怒っている小さな子供が、私の心の中にずっといたのです。

 

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★このシリーズは、イラっとして夫との距離が離れてしまっても、それをきっかけにもっと深く理解し合うコミュニケーションもできる!ということをお伝えしています。

 

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