感じたこと

心の中の餓えた子を抱きしめる

今日の東京の日の出は6時45分。
だけど少し雲が出ていて、実際に朝日を拝めたのは7時15分ごろだった。
リビングにまっすぐに差し込む朝日。
お気に入りのイタリア製のキャビネットに光があたり、中にあるグラスたちが輝き出す。
私は一番大好きなティーカップに白湯を入れ、立ち上る湯気を眺めつつ、窓辺に座る。
 
 
「豊かだ」と思う。
白湯を飲みながら、深く満たされている自分を感じた。
数年前には感じることのできなかった豊かさだ。
私はこの数年で、お金持ちになったわけではない。
陽の当たる部屋に引っ越し、縁あって素敵なキャビネットをもらうことができ、そこに持っていたグラスたちを納めただけだ。
 
 
だけど明らかに数年前とは違う自分がいる。
以前は頑張っても頑張っても、自分には豊かさが手に入らないと思っていた。
今わかることだが、豊かさが手に入らないのではなく、味わう方法を知らなかったのだ。
そして、味わおうと思えばいくらでも味わえることも。
昔から太陽は毎日恵みを与えてくれていたし、蛇口をひねればいくらでも水が出たのだ。
 
 
「ない」という意識で見れば「ない」日常が訪れ、「ある」いう意識で味わえば満たされる。
意識の中の自分の欠乏感に気づいて、その餓えた子を抱きしめることができたら・・・。
その子が満たされるまで愛することができたら、人生は欠乏から充足へと変えることができる。
今それを少しずつ実感している。
 

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