先日、夫に対して私がブチ切れた話をしました。
幸い友人の助けによりお互い歩み寄ることができましたが、その後自分で色々と気付いたことがありました。
(前回の記事をまだ読んでいない方はこちらです。)
それは
今回のような 夫 対 私 のパターンは、私 対 母 のパターンと同じだ!ということです。
どういうことかというと・・・
母はスーパー主婦でした。
仕事でほとんど家にいない父に代わって4人の子育てを一気に一人で担い、炊事、掃除・洗濯、といった家事もこなしていました。
母には理想の家族、というイメージがあって、時に子供としてはその理想を押し付けられるのが苦しかったものですが、自分自身に対しても理想の母親になろうと、完璧な家事を目指していました。
おかげで食事は毎回美味しかったし、家はいつでも清潔でした。
しかもうちは裕福でない・・どころか貧しい方だったので、その中で家計のやりくりをして、子供を大学進学や留学までさせたことは、今から思うとものすごいことだ、と思います。私にできるか、と聞かれたらちょっと考えてしまいます。
そんなスーパー主婦である母、完璧主義である母は、常にチャカチャカ動いていました。やることもすべて基準が高く、お手伝いをしようにも「もっとこうして」「できてない」と言われることはあっても、「やってくれてありがとう」とか、「助かる」と言われたことはありません。
私にしてみれば、小さい頃は助けたい、と思っていたと思いますが、成長するにつれて「私がやっても気に入らないんだったら、もう手を出さない!」と、どんどん手伝わなくなっていったのです。
そうすると母は時々ブチ切れました。
母の場合は切れると無言になって自分で全部やって、そのあと殻にこもる・・というパターンです。
その母の無言のイライラエネルギー、怖かったしヒヤヒヤしたものです。
そして心のどこかで思っていました。
「お母さんが色々やってくれるのは感謝してるけど、そんなにカリカリするなら手を抜けばいいのに。
人がやれば気に入らないし、勝手にこだわってやりすぎてこっちはいい迷惑・・・。」
という風に。
この母の状態が、今の私と同じだ、とわかったのです。
夫から見れば、勝手に背負ってイライラして切れて、いい迷惑だ、というところなのです。
以前も同じ気づきはあったのですが、その時は、嫌な母と同じ道を歩む自分を責め、こうなったのは母のせいだ、と母も責めていました。
でも今回は、母の気持ちがすごくよくわかったのです。
「一生懸命だったんだな〜。いいお母さんになりたくて、でもなれなくてやっぱり自分を責めていたんだな・・・」ということが。もちろん、かわいく、助けて、と言えればよかったのだろうけど、母にはかわいく甘えるという体験はなかったのでしょう。甘え方を知らなかったのだと思います。
私は、イメージワークをやることにしました。
子供の時はできなかったけど、今の自分が当時の母のところに行って、「一生懸命頑張ってくれてたんだね・・・」と背中をさすってあげたいと思いました。同世代の友人としてです。
イメージでやってみると、母の背中からいっぱいいっぱいではちきれそうな母の気持ちが私の中に入ってきました。
「どうして自分はいい母親でないんだろう?」と自分を責め、「家族のためにもっと頑張らなくちゃ」と肩に力が入り、一人で毎日自分をすり減らしていた母・・・。
気持ちに余裕がない中で、4人の子供のタイプを見極め、子供達の将来が幸せになるように願う気持ちもありました。でもその温かく柔らかい気持ちが外に表現される時は、焦りのような形で、子供に対するコントロールとして出てしまうこともよくわかりました。
母の体はこわばっていました。
昔はそのこわばりを何とかして解きたいと思ったし、母を癒したいとも思いました。
でも今回は、ただただ、その母を理解できそうな気がしました。
そして一生懸命だったことに感謝を感じたのです。
さらに思うのは、小さな体で4人の子育てをやり遂げた母はなんてパワフルなんだろう!ということです。昔は一人でキリキリする母をどこかで馬鹿にすらしていた私ですが、今は、母のパワーは本当にすごい、と尊敬の気持ちに変わってきました。
母は子育ての傍、趣味で編み物をしたり、さらには40歳過ぎで車の免許を取ったり、介護の勉強をしてケアマネージャーまで資格を取ったり、その後、介護施設の立ち上げに何度も関わったりと、とにかく、思い返してみればパワフルです。
自分が馬鹿にしていると受け取れなかった母のパワフルさ・・・・、こんなにすごい人の娘だったんだ・・・と急に母が誇りに思えてきました。
私はこんなにたくさんのことをこなせる気がしない・・・そんな風に感じつつ、・・・でも、でも私も母の娘だから、よく似た娘だからもしかして何かできるかも・・・。だんだん、そんな風にも思えてきました。母を誇りに思うことで、急にセルフイメージが上がってきたのです。
母の背中を触るイメージの中で一連のことを感じながら、ふと気がつけば私の背中が柔らかくなっていました。
「よく頑張ったね、一生懸命だったね・・・。」
背中から温かいエネルギーが伝わってきます。
それを言って欲しかったのは私自身。いっぱいいっぱいではちきれていて、それを理解して欲しかったのはやっぱり私なのです。
そして母を尊敬すると同時に、自分の頑張りもちょっと尊敬できる感じがしました。
夫に感謝することを求めていたけど、自分自身が自分を尊敬できないから、夫にそれを求めていたのですね。
いろいろなことを感じるにつれ、私の肩の力がふ〜っと抜けていくのを感じました。
そして急にぽ〜んと
「そうか〜、もう頑張る自分は手放していいってことか。」
と思ったのです。
頑張ってもいいし、頑張らなくてもいい。
頑張りたい時に頑張ればいいし、無理したくない時は無理しなくていい。
無理して頑張っちゃっても、それもまたよし。
そんな気持ちになったのです。
☆
今はただ、なんとなく嬉しい感じです。
心も少し軽くなりました。
そして、これを夫になんて伝えよう、ってちょっと考え中です。
素直に話すの気恥ずかしいから、ブログを読んでもらおうかな・・・(笑)