夫婦の対話, 感じたこと

理解してもらえなかった・・・。という痛みを抱えている人へ

私たちはみんな、幼少の頃に親や学校の先生に理解してもらえなかった体験をしています。
そしてそのハートブレイクで人生が止まっていることも少なくありません。
 
このことを知ってから、子供を育てる世代の人たちに怒りがわいたこともありました。もっと子供を見てあげて!と。
 
でも最近よく分かったことがあります。
 
生まれてくる新しい世代の子供は、前の世代には知りようもない新しいギフトを持ってくる、ということです。
 
子供が理解してもらえないと感じる理由には、親が自分のことで精一杯だったから、とか、親の恐れでコントロールしてしまう、などももちろんあるのですが、それ以外に、どうしたって親には分かり得ない才能を持ってきている場合がある、ということです。
 
例えば、言語外で感じていることを察知する能力や、相手の感情を受け止めて昇華する能力、誰に教わらなくても宇宙と繋がって英知をしる能力、理屈ではわからなくても危険を察知して警告する能力、など、学校の勉強や社会の一般的な知恵とは違う能力を持っている子供たちが実はたくさんいるのです。
 
そういう意味で彼らは一度、理解されない、というトンネルをくぐる、という試練を選んできているのだと思います。なぜその試練を通らなくてはいけないのかは私にはわかりません。ただわかるのは、それでもいいからその才能をもって地球に生まれてこよう、生まれたい!と思ってきた、ということです。
 
そういう子供の多くは、自分が社会に馴染めず、親からも理解してもらえず、生き場がない苦しみの中を通ります。そのまま抜け出せない人もいるかもしれません。
 
でもそこから抜け出すには、まず自分で自分の才能に気づくこと。その才能を潰さないこと。自分の感じていることを思い切って誰かに話してみること。それが大事だと思います。なぜなら、自分で話してみない限り、他人からはわからないのがこの世界だからです。黙っていたらわからない。悲しいかな、それがこの社会の現実です。
 
思い切って話してみると、実は相手も同じ苦しみを抱えている人だということも少なくありません。あるいはそうでなくても、「ようやくあなたのことが少し見えてきた。」と相手との距離が近くなる可能性もあります。その人のことを理解したいと思っている人は必ずいるのです。そういう人がそばに来た時、自分にしかわからない感覚を話せるかどうか、その人にとっては「そんなことをするなら清水の舞台から飛び降りた方が楽だ!」という位のことかもしれないけれど、やらないで飛び降りるなら、やってからだって遅くない、と私は言いたいです。
 
 
私は夫婦のコミュニケーションを通して、相手の中に私に計り知れない才能やギフトがあるのを学びました。最初は相手の才能のかたちが自分の回路にないことなので、全くわからずにその才能を欠点だと勘違いすらしていました。
でもこの人と繋がりたい、理解したい、という思いから自分の観念を取り払って相手を見るレッスンをする中で、本当にオリジナルの才能ってあるんだな、と気づきました。そしてその取り組みの中で、「じゃあ私には?」というふうに自分も見ることができるようになり、自分自身が欠点だと思っていたことが実は才能だったとわかるようにもなってきたのです。
 
結局のところ、自分の才能を一番受け止めてなかったのは自分でした。「誰かが見出してくれたら!」と思った時もあったけど、振り返ってみたらたくさんの人が折々にメッセージをくれていたのです。それは自分の欲しい形や欲しい人からではなかったかもしれないけれど、心を開きさえすればそのメッセージは何度も来ていたのです。
 
 
このブログを読んで、もしあなたが、自分も受け取っていない才能があるのかもしれないと思ったら、「理解されなかった!」という痛みを通りぬけ、「親にはわからない才能があったとしたら?」「他の誰かからメッセージがなかった?」という視点で自分を振り返ってみてください。そしてもし、「これかな?」というものが垣間見えたら、近しい人に思い切って話してみてください。最初は「根拠がない」とか「おこがましい」などの恐れがやってくると思いますが、一生その恐れで人生を終わらせるのか、一度吐き出してみるのか、それを考えてみてください。
 
人生はあっという間です。持ってきた才能を分かち合わずに終わるなんてつまらない人生だと思いませんか。
 
もしかすると今、この文章を読んでいることが「あなたには才能がある」というメッセージかもしれませんよ。
 

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