以前に、私は小さな頃から教会に通っていたと書きました。
それこそ生まれてすぐに洗礼を受け、毎週教会に通っていたのです。
教会では様々な教えを受けます。
その中で私がずっと苦しかったのが「感謝しなさい」という教えでした。
「感謝したほうが人生はうまくいく」とか「感謝が足りないからダメなのよ。」などの教えは、別に教会でなくても巷にあふれています。数々の成功法則の中にも入っていますよね。
でも子供の頃の私は、「感謝しなさい。」と言われるたびに、自分の心にチクリと刺さるものがありました。なぜなら、正直に自分の心を見てみれば、いくら口先で感謝の言葉を言っていても、自分の心がついてきていない事がわかっていたからです。
感謝できない自分・・・、毎週毎週それをつきつけられるたびに、「私って悪い子なんだ。」という思いが募っていきました。
結局のところ、それはそのまま私のセルフイメージとなりました。私は悪い子、器の小さい子、そして神様に愛されない子・・・。なぜって感謝できないから。そんなセルフイメージです。
子供の頃から、私は「聖母マリア様みたいな慈愛に溢れた人になりたい。」とずっと思っていました。それこそがすばらしいことなんだ、そうでないのはダメなんだと思ったのですね。
でも私は、お母さんとお父さんには姉弟の中で一番に愛されたいと思ってしまうし、クラスの中でも一番優秀になりたいと思ってしまうし、自分より劣っている人をみれば優越感に浸ってしまうし、時にはちょっと汚い画策をして誰かをおとしめてしまうし・・・理想の人物とはかけはなれた子供でした。
大人になるにつれて、そういった醜い自分を押さえ込んで、いい人仮面をかぶる術を身につけはしました。でも心のうちではやっぱり感謝できていない自分がいて・・・。いたのは、いい人仮面をかぶることで精一杯の私。いい人仮面を守るために、時には人を攻撃したり見下したりする私でした。
こうなってくると、はたから見ると人望厚く付き合いやすい人かもしれませんが、私の心のうちは殺伐としていました。そして表面の自分と内面の自分のギャップにも苦しんだものです。ただし、当時はその苦しみはそこまでキャッチしていませんでしたが。
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感謝はするものではなく感じるもの
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最近つくづく思うことは、【感謝】とは感じるもの・・・・つまり感情であって、「する」ものではない、ということです。心がついていかないのに一生懸命しようとしてもそれは苦しくなるだけです。
なぜそう思うようになったかというと、この10年の間、私は凍らせていた心を溶かすレッスンを続けてきました。すなわちそれは感情を取り戻す、感情を感じるようにする過程だったのですが、感情を取り戻すにつれて、感謝の感情も一緒に戻ってきたからです。
心を凍らせたのは、辛かったこと、悲しかったこと、嫌だったことを表現してはいけないと思ったから。そうして感情を抑え込む過程で、感謝も同時に凍っていただけだったのです。
心が柔らかくなって色々なことを感じるようになってくれば、悲しみや苦しみも感じるようになるけれど、同時に喜びや世界の美しさ、素晴らしさも感じるようになっていきます。そうしてその素晴らしさを感じることで、「何て有難いんだろう!」と自然に感謝の念が湧いてきたのです。
ちなみに、子供の頃を思い返してみると、子供って感謝の感情なんてないんですよね。あるとすれば「すごいね〜。」とか「素敵だね〜。」「うれしいね〜」「ワクワクしちゃう!」といった心が躍るような気持ちなのです。感謝というのは成長の過程で、それが当たり前のことではない、というこのを学んでいくことで生まれる感情なのだと思います。子供が口癖のように「感謝します。」といっていたらちょっと気持ち悪いですよね(笑)
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心が溶けると自然に感謝の気持ちがわいてくる
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数々の成功法則で「感謝しなさい」と言われている所以は、感謝体質の人は確かに応援されるし運がやってくるからです。すなわちその感謝体質とは心が柔らかいということで、さまざまな感情を感じられる人なのではと思います。だから私が言いたいのは、「感謝しなさい」ではなく「心を柔らかくして、感動体質になろう!」ということです。それこそ、ちょっとしたことで思いっきり喜んだり驚いたりした、あの子供の頃の純粋さを取り戻せば、自然に感謝してしまう毎日になっていくのだと思います。
現在の私は、日々いろいろなことに対して「ありがたいなぁ」と感じます。時には感動して涙が出ることもあります。私が一番嬉しいのは、感謝しなくても感謝の感情が湧いてくる自分になれたことです。そしてそんな自分が今は好きです。もしかすると、子供の頃に感謝できずに苦しかったから、より嬉しく感じるのかもしれませんね。そう考えると、「感謝しなさい」という教えをうけたのも、有難いことだったのかもしれないですね・・・と、今、この文章を書いていて気がつきました(笑)
こうやって書かせていただけるのはありがたいですね!