感じたこと

愛の少ない人はいない

私は長いこと、自分には愛がないと苦しんできました。
 
世の中には愛に溢れている人とそうでない人がいるように見えます。そして愛に溢れている人を尊敬し、その人に憧れたり自分もそうなりたいと切望した時期も長かった気がします。
 
でも最近、愛が多い人、少ない人、というのはいないのだとわかるようになってきました。もし違いがあるとすれば、それは愛の表現が上手なのかそうでないのか、です。
 
私は以前、友達に優しい言葉もかけれないし、相手が喜ぶようなこともしてあげれない。道端で困っている人がいても、助けていいのか迷っているうちに何もできず、誰かに何かをプレゼントしたいと思っても、どうしたら喜んでもらえるか考えすぎて疲れて何もしない、ということばかりでした。それどころか、すぐに人に対してイライラしてしまい、たくさんの人に対して「あの人ダメ」「この人の行動ありえない」と、人に✖️印をつけていたのです。
 
そんな自分に愛があるようにはとても思えず、自分が嫌いでした。
 
でもそうなった原因は、小さな頃から、自分が愛を表現した時に制限を受けたり、受け取ってもらえなかったことが理由にあったのです。
 
愛を受け取ってもらえなかった傷、喜んでもらえなかった傷、大切な人を笑顔にできなかった傷、そういった傷が重なって、自分の愛には価値がないと思い込むようになっていきました。
そして愛を出せなくなっていくと、他の愛情表現豊かな人と比べて、自分は愛がないんだと思うようになったのです。
 
でも愛がない人もいなければ愛情が少ない人もいないのです。
私は自分が差し出した愛を受け取ってもらえなかった、小さいころの自分に出会うたびに、深い傷みを感じました。でもその傷みを受け止め抱きしめることで、自分の心の奥底に深く温かい愛があることが感じられるようになったのです。
 
傷つくということは誰かに何かをしてあげたいという思いがあった証拠なのです。
 
そもそも、生まれたばかりの時はだれもが愛を制限していなかった。自由に与え、受け取っていた。本来、愛に溢れているものなのです。それがハートブレイクを重ねて愛を見失っていく・・・。
 
なぜそんな悲しいメカニズムになっているのか。最初から見失わないで済めば、今頃どんなに幸せかと思ったこともあります。でも、大人になって自分の愛を取り戻す作業は何者にも代えがたい素晴らしい体験だったことも事実です。
 
自分の中の温かいもの・美しいものにたどり着く瞬間、深い癒しと許しがやってきました。自分がどういう存在なのか、それまでの想像を遥かに超えていることを思い知らされます。
 
そういう体験を通してなんとも言えない温かい気持ちになり、初めて心の底から感謝の気持ちが湧いてきたのです。それは私にとってとても嬉しいことでした。
 
そして私はクライアントさんとのセッションを通して、繰り返し繰り返し同じ体験を積み重ねています。その度に、誰の心の底にも愛があって、みんな傷ついてそれを出せずにいるだけだ、ということを感じます。そしてその愛に辿りつくときはいつも「ああ、やっぱり。なんて素晴らしいんだろう。」と感動せずにはいられないのです。
 
私たちはそもそも愛の存在だし、生まれた時から・・・・いいえ、生まれる前から、大きな愛に包まれていて、常に見守られています。そういったことを見ようと思いさえすれば、世界は愛に溢れていることがわかるし、豊かさでいっぱいだともわかります。
 
きっと一度傷つき愛を見失ったからこそ、その本当の価値に気づくことができるのです。そして自分の愛を取り戻していく作業はとても尊く神聖な作業です。
 
その瞬間に立ち会える仕事をさせていただいていることは、とても有難く、運のいいことだなぁと感じています。
 

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