大切なあなたへ
あなたは
自分らしく生きたいな〜と思いながらも
親に言われたことが気になったり
親の健康や幸せが気になって
なかなか自分に集中できないことってありませんか?
私は少し前になりますが
長らくそこにはまっていたと思います。
でも今はそこに、はまっていません。
今では自分に集中できていて
毎日ありがたいな〜と感じています。
そして日々、親の愛情も感じています。
今日は
親に影響されて幸せになれないと思っていたステージから
安心の中で自分自身の幸せに集中できるようになった過程を
少しシェアしますね。
私の母は過干渉で心配症のタイプなので
私がやろうとすることにまずは怪訝な顔をして
不安を言ったり止められたり
そんな事ばかりでした 。
私の心の中には
「いい加減自由にさせてよ!」
という怒りと反発の気持ちがありました。
それなのに
いちいち母の顔色を伺い
母が笑顔にならないと動けない自分がいたのです。
自由になりたいと思うなら
「お母さんと私は意見が違うんだね。」
とにっこり笑って
自分の道を進むことだってできたのに
どうしても母に認めてもらいたくて
どうしても母にも笑顔になって欲しかったのですね。
母が笑顔で送り出してくれないと
気持ちよく自分の道を生きれない
母が先に自由に幸せになってくれないと
私は安心して幸せになれない・・・
そんなふうに思っていたと思います。
30代半ばのある日
私は母と口論になりました。
私がやりたいと言ったことに対して
母が感情的になって反対し
その時は私も
「なんでそんな風に言われなくちゃならないんだ!」と
かなり感情的になって
もう冷静に話すことができませんでした。
その時母に
「あなたとはもう一生口をききたくない」
と耳を疑うようなことを言われました。
その時の母は
見たことがないくらい感情的になって
もう誰の言葉も耳に入りません。
そして一人で家出してしまったのです。
ちょうどその時
父と私の旦那さんも一緒にいたのですが
私も含めて3人ともがお手上げ状態でした。
父は母がどうしてそんなに感情的になるのか
全く分からない様子でした。
ただ私と旦那さんは
何が起きてるのか大体のことは理解していました。
私がやろうとしたことが
母の過去の痛みの何かに触れたのです。
母はその過去の痛みについての詳細は絶対に話しませんが
明らかにそれはまだ母の中でうずいていて
私の言葉がそこを刺激したのです。
私はその時
母の痛みが吹き出ているんだ、ということは理解していました。
それでも
「結局母に反対されるんだ」という私のいたみと
母の中に疼く(うずく)過去の傷のいたみがぶつかってスパークした時は
本当に本当に
もう母とは話すことができないと思うくらい
心が遠くに離れました。
心がちぎれるように痛くて痛くて
母に対して、もう何もできない
と思ったのを覚えています。
その時、家出した母をお父さんと旦那さんと3人で探しに行き
見つけ出して家に連れ帰りましたが
その時、私は父に
「お母さんはとても傷ついているから
私達家族に起きたことが、全部自分のせいだと責めてるから
後はお父さんが優しくしてあげてね。」
と言って母を託し
そのまま母に挨拶もせずに実家を後にしました。
あの時の心がちぎれる感覚は
今思い出すだけでもちょっとまだ胸が痛いです。
帰りの車の中で私はずっと泣き続け
そこから文字通り三日三晩
泣いて過ごしました。
自分の一部が激しく切り取られたような
そんな痛みを感じていました。
そうやって三日三晩泣き尽くしてつくづく思ったことは
「母親が過干渉だから自分が自由になれない」
というのは物事の片面でしかなかった、ということです。
私はやっぱり
母にとって一番良い子のポジションが欲しかったし
母を癒して笑顔にしたかったのです。
いい子になって認めてもらいたいということ
母を笑顔にしたいという思いで
自分からも母にしがみついていたのですね。
それを半強制的に引き剥がす形になって
実際に痛みを感じたのでした。
そしてその時の私は
認めてもらうということを手放しつつ
「母を幸せにする」というポジションを父に返したのです。
それまで私は
子供の頃からずっと家にいなかった父は
頼りたい時に頼れる存在ではなく
しかも私と母は感性がよく似ているけれども
父は全く反対なので
どこか私の方が母を理解できる
と思っていたのです。
でも三日三晩泣きつくしたあと
私の中で明確に
「母を父に返す時なんだ」とわかりました。
私が両親の幸せに責任を持つ必要はなく
それは夫婦二人でやってもらうことなのだと
分かったのでした。
それからしばらくして
母からもう一度話したいと連絡がきて
そして話すとまた愚痴を言われたり
それからまたしばらくして
母から
「旦那さんと二人で幸せになってください」
というハガキが来て
本当に幸せを願っているのか
もう関わらないという宣言なのか
悩んだりして
そういった揺れが色々ありましたけど
少しずつ少しずつ
親子の癒着を解いて行ったんだと思います。
結果的に今では
父と母は二人でとても楽しそうに毎日過ごしています。
そして私たちに過干渉はしてきません。
さらには以前からは想像もできないくらい
私がやりたいということに対して
「あなたならできると思う」と応援してくれるまでになりました。
私は母の応援をとてもありがたいと思えるし
なにより
それまで母のことを思い出すと嫌な思い出ばかり蘇っていたのが
最近では母からもらった楽しい記憶
嬉しかったことなどを思い出すことが多くなりました。
だから
あの辛い決別の体験した後の方が
お互いに健全に愛し合っている感じがしています。
今私が思うことは
親のせいで人生がうまくいかないと思っていたけど
自分だって親にしがみついていた
ということと
親と子で癒着が強すぎると両方とも幸せになれない
ということです。
親の幸せは親に任せて
私は私の幸せに集中すること
それがお互いにとって一番良いのですね。
親子の癒着を解くのは簡単ではありません。
自分だって無意識にしがみついているから
境界線を引こうとすると
私のように痛みを感じることもあるでしょう。
でも時間がかかったとしても
癒着を解いていく価値はあります。
自分が親を幸せにする責任から解放されるだけでなく
子供を幸せにする責任からも
親を解放してあげられるからです。
そうです。
もう親も解放してあげなくちゃね。
そうしてそれぞれ
自分の幸せに集中していると
心からお互いの幸せを願えるようになっていく
今はそう思います。
さて今日はちょっと深い内容になりました。
あなたは両親を思い浮かべて
どんな気持ちになりますか?
愛されてるな、ありがたいな〜と
胸の奥深いところが温かくなれるといいですね。
今日は書きながら
あらためて
母への温かい気持ちが湧いてきました。
なぜなら
こうして振り返ってみると
きっと私から手放せなかったものを
母の方からアクションを起こして
手放さざるを得ない状況にしてくれたんだ
と思うからです。
もちろん母は無意識に、ですがね・・・。
でもそうだとすると
母の愛ってすごいな〜とも思うのです。
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